2008-11-25

内と外(再)

今日、通勤で地下鉄に乗るときに人身事故で振り替え輸送をしていた。振り替え輸送の手順は知らないが、おそらく推測するに並行して走っている他社路線の定期券を目視で確認し、下車駅で出場することができる証明書を手渡して入場させる。一方下車駅では証明書を確認して出場させるという手順だろう。
これらは、駅構内を内側とすれば外から内への入場のルールと外へ出る出場のルールがあれば管理できる。簡単な理屈のように思える。しかし、それだけなんだろうかと電車の中で悩んでいた。
中世の寺院が治外法権の場で無縁所を構成し、政治亡命者や経済難民の両方を生み出していたという伊藤正敏「寺社勢力の中世」は非常に説得力のある書物だが、これは寺院が中というより外というべきだろう。
同様にインターネットはNETが外でNET以外は中ということなんだろうか。

2008-10-21

プロトンの濃度勾配

プロトン濃度の勾配という高エネルギー状態こそが酸化的リン酸化におけるATP合成の鍵であるという化学浸透説を唱えたイギリスのミッチェルがノーベル賞を受賞したのは呼吸という基本的生命の営みを解明した功績によるものだそうだ。(光合成とはなにか「園池公毅」96ページ)電子の伝達自体がATPを生み出すわけではなく、電子伝達によって生じたエネルギーは、いったん膜を隔てたプロトンの濃度の落差という「状態」に変化し、ATP合成酵素はこの状態が持つエネルギーを使ってATPを合成する。これらはプロトン濃度勾配があればATPを合成するが、逆にATPがあってプロトン濃度勾配がない場合、ATPを分解してプロトンを輸送するという離れ業を行なう。ATP合成酵素はATPのエネルギーを利用するプロトンポンプとしても働くのだ。電子伝達系におけるたんぱく質の構造の微妙なところは、その電子伝達する位置が互いにすぐ近傍にあり、物理的にそういった反応が必然的に起こるという状況に置かれているところにある。これらのことを解明した学者の根気には頭の下がる思いがする。

2008-08-15

アンリ・ベルクソン

先日、久しぶりに会った友人との会話の中でいきなりアンリ・ベルクソンの名前が出てきた。長い間読んでいなかった名前がなつかしくて、昨年出版された「物質と記憶」をちくま学芸文庫新訳ではじめて読んだ。
きっかけは外的要因だったが、読みはじめて引き込まれおもしろくてあっという間に読みきってしまった。
100年以上前に書かれた書物とはとても思えない現代最先端の話題が随所にみられ、彼の問題提起がすばらしい分析とともに書かれていて訳者合田正人のあとがきにもあるとおりますます研究の対象としてクローズアップされてくるだろうという気がした。少なくともこの5年間に読んだ書物の中では最高におもしろかった。

2008-08-01

相互浸透

相互浸透という言葉は現在のKeywordとなっている気がする。
先に新田義弘のテクストに関するエントリーを書いているが、同じような記述を最近読んだ司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ「近江散歩、奈良散歩」の中で見つけておもしろかった。
司馬さんの友人の東大寺僧正でもあった上司さんが読んだ鈴木大拙の「華厳の研究」に関する説明で、「相即相入」という華厳独自の述語については「インターペニトレーション=「相互浸透」「相互貫通」という一語であらわされているそうだ。
相互浸透という言葉はニクラスルーマン社会学の表現の訳語にも登場するが、バイオテクノロジーの核心部分でも重要な研究対象となっている。イオン化した物質の電子の交換がさまざまな反応をひきおこす点は華厳という時間を超えた思想と呼応するところがあっておもしろい。
ついでにインターネットで検索してみると「会計、監査、社会の相互浸透」というように広く哲学用語という感覚で使われているものがあり、古くはエンゲルスが対立物の相互浸透という概念を述べているようだ。

2008-02-10

平均律

平均律という言葉はたしか中学校で既に学んでいたはずだ。そして、それ以降音楽の記述を見る時などに再々眼にしている。「はかる科学」という書物で橋本毅彦と藤井知昭が書いている平均律のことはこの年にしてはじめて眼からうろこが落ちたと思った。
そして、私が学んだ音楽や音の体系は西洋音楽だということを思い知った。そして、日本古来の音楽や世界の楽曲を聞いていたにもかかわらず、ここに記載されていることにいままで全く気がつかなかった。
現在の12音階がオランダの技術者であり、力学の研究者であるシモン・ステヴィンという人物によって提唱されたものであって、人為的な音階であるということも知らなかった。
私は、一方で物理学の授業では美しい和音の背景には振動数の単純な比があるということも学んでおり、これらのことを同じこととして理解していたのだ。しかし、事実は違った。12音階は単純な比ではなかったのだ。
最近数年の沖縄の音楽がもたらすインパクトはなんだろうと疑問に思っていたところだ。おそらく、平均律という人為的な音階の持つ限界がどこかで破裂するのではないかという気がしてきた。